アニメ 考察・その他
「まなびストレート!」がやはり最高すぎて堪らない
・ 「まなびストレート!」がツボに嵌り過ぎてやばい
以前書いた6話までの感想記事から大分時間が経ってしまいましたが、改めて最終回(9~12話)を視聴したので再度、「まなびストレート!」についての感想です。なんでこんなにも“伝わる”アニメなんだろう、とか。どうしてこんなにも“強い”作品なんだろう、とか。一言で言えば、「まなびストレート!って、もはや“意思”そのものだよね」みたいな。そんな話です。
出来るだけ多くの人にこの作品のことを知ってもらい、観てもらって、好きになってもらえれば嬉しいなぁという願いも込めて。結構長いですが、ご容赦を。
以前書いた6話までの感想記事から大分時間が経ってしまいましたが、改めて最終回(9~12話)を視聴したので再度、「まなびストレート!」についての感想です。なんでこんなにも“伝わる”アニメなんだろう、とか。どうしてこんなにも“強い”作品なんだろう、とか。一言で言えば、「まなびストレート!って、もはや“意思”そのものだよね」みたいな。そんな話です。
出来るだけ多くの人にこの作品のことを知ってもらい、観てもらって、好きになってもらえれば嬉しいなぁという願いも込めて。結構長いですが、ご容赦を。
・ まなびストレートとは“今を生きる”ということ

以前の記事でも書いたので細かな部分は割愛させて頂きますが、この作品の凄いところってやっぱりその「意思の強さ」に他ならないのではと思うんですよね。学校なんて行かなくたって就職出来るとか、“未来”のために必要な学校生活とか、そんな先のことよりも“今”を生きたいんだという、彼女達の強い想い。そして、願い。
何より、そういった数々の力強い想いがあるからこそ、まなび達ってあんなにも逞しく、輝いているように映るわけで、むしろ彼女達が魅力的な理由ってそれだけで十分なんです。一生懸命生きるってどういうことなのかとか。今だからこそ出来ることってなんなのかとか。彼女達はそういった難題に対して真っ向からぶつかって答えを出そうとする。自分を貫こうとする。
また、そういった力強さが顕著に描かれていたのが学園祭の復活という一つの「私たちの存在証明」でもあって、その点で言えばこの作品って本当にぶれないんですよね。それこそ「まっすぐGO!!」精神に乗っ取って常にその軸は彼女達の心の奥深くに根付いているわけで、それは時として大きな力の原動力になっていたりもするんです。

もちろん、「ぶれる」という点で言えば、署名活動の不振という一つの躓きがそれに当たっているのは言うまでもなくて、そこで一つ彼女達は心を折られそうになり、疑心暗鬼に陥る。けれど、彼女達がここまで歩んできた軌跡を辿ればそれが一時的な揺らぎでしかないんだというのはもはや明白でもあって、それこそ客観的に彼女達の生き方を観てきたモモはそのことを誰よりも強く感じていたのだと思います。
そして、そういった想いというのは実はみんなの心の内にもしっかりと残っていたりして、だからこそ「今を生きていた自分たち」を見ることで、彼女達は気付くことが出来る。ああ、これが私たちだって。これで終りたくないって。決して流されちゃ駄目なんだ。失敗するとか、成功するとか、結果だってもちろん大事なのだけれど、“今を生きる”というのは失敗を恐れて立ち止まることじゃ決してないんだというそれは信念の再起。


特にその9話で言えば芽生の「私たち、ここに居ていいのかな?」という台詞は今も脳裏に焼きついているほどに力強く、今を生きている言葉だったのではないかなと思います。意思を貫くことを否定され、罵られ、傷つけられた彼女がやっと手にしたこの気持ち。もう立ち止りたくない。諦めたくない。何よりみんなとならばもう一度立ち上がれる気がする。そんな意思の強さが垣間見れるほどの瞳の力強さには、もはや涙せずにはいられないほどに感動させられました。
“今を生きる”ことを一度は諦めた彼女だからこそ抱くことができる、他の子とはまた違った感覚、想い、願い。それは「まなびストレート!」という作品にとって相当に重要な分岐点となっているのではないでしょうか。
・ まなびストレートとは“今を生きた”その先の物語

また、そうして今を懸命に生き抜いていこうとするからこそ辿り着ける境地というものは確かにあって、その素晴らしさを描き切ってくれたからこそこの作品を私は大好きになれたのだと思います。
いや、描き切ったと言ってしまうのは少し御幣があるかも知れないのだけれど、でも確かに彼女達は“生きた証”をそこに印すんですよね。「ただ楽しむだけの学園祭というものがこの時代に行われることに何の意味があるのか」という問いに対し、彼女達は「今をただ懸命に楽しみ精一杯に生きることで、その先の人生はきっと素敵なものに変化していくんだ―」と声を大にして叫ぶ、歌う、そして分かち合う。


そして、それは「友達から仲間へ―」というキャッチコピーそのものを体現するメッセージとして力強く多くの人の元に響き渡る。ただただ敷かれたレールの上を歩むことだって悪いことじゃ決してないのだけれど、一つここで自分という存在を示し、貴方という存在を受け容れることでまた違った未来が見えてくるのかも知れないじゃない、という一種の提案。
そう、提案なんですよね。彼女達がしていることってあくまで提案に過ぎなくて、“それこそが人生だ”って謳っているわけじゃ決してない。
けれど、やはり「そうかも知れない」って思わせることが出来るのは、冒頭でも述べた彼女達の意志の強さと、またそういった想い多く受け、変化し、楽しそうにその学園生活をキラキラワクワクなものに築き上げていく聖桜学園の生徒たちの姿がそこにあるからこそなのだと思います。

そして、彼女達が“今を生きた”過程で築き上げたものは掛け替えのない大切なものへと昇華され、時に前へ踏み出すための勇気を私にくれる。「まっすぐGO」。長い間、信じ続けたその言葉がいつまでも彼女達を結び続け、共に、ここにいるのだという激励となってその身体を支えてくれる。もう、そんな絶対的な信頼と友情が本当に堪らないんですよ。
作品終盤の「言葉は要らない」このスタンスが今までの軌跡を全てフラッシュバックさせて、これでもかというぐらいに凄まじい説得力を携える。ああ、まなびが好きだって思える瞬間。この作品に出会えて良かったと強く思える瞬間。それは「まなびストレート!」がまさしく、「まなびストレート!」であることを強く感じられる最高の瞬間。

そうしてやがて、その積み重ねはその先の未来へと繋がっていくわけで、そこからみかんが帰ってくるシーンまでをも踏まえても、やはりこの作品は“何故、そうあるべきなのか”という答えをしっかりと提示してくれているんです。真っ直ぐ進むこと。自分を信じて、仲間を信じて。そうやって立ち向かうことの大切さ。
また、逆算すれば「そう在れるのは、あの日、共に今を生きることが出来たから」というまさに青春に対する謳歌がしっかりと聴こえて来て、特に飛行機内で生徒会の写真を見つめ、勇気を振り絞って隣の外国人の方に話し掛けるみかんの姿とか観てるとそれはもう強く、そう感じずにはいられないといいますか...
ああ、もう幾ら言葉を並べたところで表現し切れないこのもどかしさ。いや、もう身も蓋もないこと言うようですが、とにかく本当にまなびは最高なんですよ。そういった友情も、愛も、青春も、全て丸め込んでそれが織り成すその未来<さき>で再度感じられる“私たちはここにいる”感。それがもう堪らなく最高すぎる!

そしてそれは「誰も一人では生きてない」という結論に結び付き、またそれこそが“It's my life”なのだと訴えるこのOPに回帰する構成はもうさすがとしか良いようがないですね。初志貫徹。最初から最後まで一つの意志を貫き通す彼女達と、その作品としての在り方には、もはや愛情を捧げずにはいられません。しかもその一貫性をここまで劇的に、ドラマチックに描き出して魅せるのだから凄いですよね。
・ Do you enjoy your happy life?

というわけで、いい加減長くなってきたのでこれで最後になりますが、この作品のもう一つの魅力について少しだけ。それは何を隠そう園長先生の存在であって、彼女がいたからこそこの作品はまた一つ上のレベルへと進化できたのではないかなと思っていたりします。
それは他ならぬ彼女が「懸命に“今を生きた”結果、何かを変えられなかった存在」だから。学校の横暴を許すなと戦い抜いたその先で、そこに残ったのは余りにも悲しい「無」。廃墟と化した学生寮がその凄惨たる事実を鮮明に描き出す辺りは非常に寂しく、悲しく映るのではないかと思います。


けれどそれってつまりは、まなび達が歩んだ道のアナザーストーリー的な側面も持ち合わせていて、彼女達にだって“こうなる未来”は少なからず待ち受けていたはずなんです。自分達の力じゃ決してどうにだって出来やしない理不尽との対峙と、それに磨り潰されていく想いの儚さ。
故に園長先生を主役においたこのサイドストーリーは深刻な面持ちで語りかけてくる。
たとえこういう末路を辿ったとしても、あなたは今を生きたことを決して後悔しませんか?と。
それはまさに、この作品の本編を表向きの輝きとするならば、そんな輝きと表裏一体を成す“敗戦”とも言えるのかも知れない。一生懸命生きたって、そこには必ずしも見返りがあるわけじゃないんだという大人だからこそ伝えることが出来る痛烈なアドバイス。

けれど、まなび達はそんな理不尽に押し潰されそうになっても遂には諦めることに終止符を打ったわけで、そんな彼女達の姿勢、意志の強さが園長先生を再度、“今を生きた”あの日の想いに引きずり込む。
「何も変わらなかった。だけど、その全てが無駄だったなんて決して思わない。あの頃の仲間の顔と名前、その全てを覚えているから」。それはまさしく、懸命に生きて、懸命に楽しんだ事実はその結果云々で消え去るものではないんだという証明としてこの作品の底を力強く押し上げてくれる。何があったって“今を生きる”ことに全力を捧げるということは素敵なことなんだと、懸命に訴え掛けてくれる。
そしてそれは、まさしく最終回Cパートにおいて黒板に書かれていた「Do you enjoy your happy life?」の言葉そのものが意味することでもあるはずで、やはりこの作品は最後のその瞬間まで「自分らしく生きること」を全力で肯定してくれていたんじゃないかな、なんて思うと、その先の失敗とか成功とかは関係なくとにかく今を頑張って生きてみようと自分自身が思えてくると言いますか、そういったまさに「まなびストレート!」らしい力強さにはただただ感嘆するばかりです。

また、だからこそこの作品はそんな彼女達を見て「何を想い、何を起こすか」を必然と考えさせられる、ある意味で“継承”の物語でもあったのでは... なんて風に考えると結構しっくりとくるかも知れませんね。園長先生、第82期生徒会、そして次世代へ。そうして語り継がれた物語を視聴し、大きな感動を彼女達から受け取ったからこそ、「まなびストレート!」の一ファンとしてこれからもこの作品の素晴らしさを多くの人に伝えていければなと思います。
というわけで、本当に素晴らしく最高で堪らない「まなびストレート!」はBDBOXが近々発売となりますので、興味がある方、または既に視聴したことがある方も是非、購入の方を検討してみてはいかがでしょうか。お金がない方は、またまたレンタルショップへまっすぐ、GO!!!

以前の記事でも書いたので細かな部分は割愛させて頂きますが、この作品の凄いところってやっぱりその「意思の強さ」に他ならないのではと思うんですよね。学校なんて行かなくたって就職出来るとか、“未来”のために必要な学校生活とか、そんな先のことよりも“今”を生きたいんだという、彼女達の強い想い。そして、願い。
何より、そういった数々の力強い想いがあるからこそ、まなび達ってあんなにも逞しく、輝いているように映るわけで、むしろ彼女達が魅力的な理由ってそれだけで十分なんです。一生懸命生きるってどういうことなのかとか。今だからこそ出来ることってなんなのかとか。彼女達はそういった難題に対して真っ向からぶつかって答えを出そうとする。自分を貫こうとする。
また、そういった力強さが顕著に描かれていたのが学園祭の復活という一つの「私たちの存在証明」でもあって、その点で言えばこの作品って本当にぶれないんですよね。それこそ「まっすぐGO!!」精神に乗っ取って常にその軸は彼女達の心の奥深くに根付いているわけで、それは時として大きな力の原動力になっていたりもするんです。

もちろん、「ぶれる」という点で言えば、署名活動の不振という一つの躓きがそれに当たっているのは言うまでもなくて、そこで一つ彼女達は心を折られそうになり、疑心暗鬼に陥る。けれど、彼女達がここまで歩んできた軌跡を辿ればそれが一時的な揺らぎでしかないんだというのはもはや明白でもあって、それこそ客観的に彼女達の生き方を観てきたモモはそのことを誰よりも強く感じていたのだと思います。
そして、そういった想いというのは実はみんなの心の内にもしっかりと残っていたりして、だからこそ「今を生きていた自分たち」を見ることで、彼女達は気付くことが出来る。ああ、これが私たちだって。これで終りたくないって。決して流されちゃ駄目なんだ。失敗するとか、成功するとか、結果だってもちろん大事なのだけれど、“今を生きる”というのは失敗を恐れて立ち止まることじゃ決してないんだというそれは信念の再起。


特にその9話で言えば芽生の「私たち、ここに居ていいのかな?」という台詞は今も脳裏に焼きついているほどに力強く、今を生きている言葉だったのではないかなと思います。意思を貫くことを否定され、罵られ、傷つけられた彼女がやっと手にしたこの気持ち。もう立ち止りたくない。諦めたくない。何よりみんなとならばもう一度立ち上がれる気がする。そんな意思の強さが垣間見れるほどの瞳の力強さには、もはや涙せずにはいられないほどに感動させられました。
“今を生きる”ことを一度は諦めた彼女だからこそ抱くことができる、他の子とはまた違った感覚、想い、願い。それは「まなびストレート!」という作品にとって相当に重要な分岐点となっているのではないでしょうか。
・ まなびストレートとは“今を生きた”その先の物語

また、そうして今を懸命に生き抜いていこうとするからこそ辿り着ける境地というものは確かにあって、その素晴らしさを描き切ってくれたからこそこの作品を私は大好きになれたのだと思います。
いや、描き切ったと言ってしまうのは少し御幣があるかも知れないのだけれど、でも確かに彼女達は“生きた証”をそこに印すんですよね。「ただ楽しむだけの学園祭というものがこの時代に行われることに何の意味があるのか」という問いに対し、彼女達は「今をただ懸命に楽しみ精一杯に生きることで、その先の人生はきっと素敵なものに変化していくんだ―」と声を大にして叫ぶ、歌う、そして分かち合う。


そして、それは「友達から仲間へ―」というキャッチコピーそのものを体現するメッセージとして力強く多くの人の元に響き渡る。ただただ敷かれたレールの上を歩むことだって悪いことじゃ決してないのだけれど、一つここで自分という存在を示し、貴方という存在を受け容れることでまた違った未来が見えてくるのかも知れないじゃない、という一種の提案。
そう、提案なんですよね。彼女達がしていることってあくまで提案に過ぎなくて、“それこそが人生だ”って謳っているわけじゃ決してない。
けれど、やはり「そうかも知れない」って思わせることが出来るのは、冒頭でも述べた彼女達の意志の強さと、またそういった想い多く受け、変化し、楽しそうにその学園生活をキラキラワクワクなものに築き上げていく聖桜学園の生徒たちの姿がそこにあるからこそなのだと思います。

そして、彼女達が“今を生きた”過程で築き上げたものは掛け替えのない大切なものへと昇華され、時に前へ踏み出すための勇気を私にくれる。「まっすぐGO」。長い間、信じ続けたその言葉がいつまでも彼女達を結び続け、共に、ここにいるのだという激励となってその身体を支えてくれる。もう、そんな絶対的な信頼と友情が本当に堪らないんですよ。
作品終盤の「言葉は要らない」このスタンスが今までの軌跡を全てフラッシュバックさせて、これでもかというぐらいに凄まじい説得力を携える。ああ、まなびが好きだって思える瞬間。この作品に出会えて良かったと強く思える瞬間。それは「まなびストレート!」がまさしく、「まなびストレート!」であることを強く感じられる最高の瞬間。

そうしてやがて、その積み重ねはその先の未来へと繋がっていくわけで、そこからみかんが帰ってくるシーンまでをも踏まえても、やはりこの作品は“何故、そうあるべきなのか”という答えをしっかりと提示してくれているんです。真っ直ぐ進むこと。自分を信じて、仲間を信じて。そうやって立ち向かうことの大切さ。
また、逆算すれば「そう在れるのは、あの日、共に今を生きることが出来たから」というまさに青春に対する謳歌がしっかりと聴こえて来て、特に飛行機内で生徒会の写真を見つめ、勇気を振り絞って隣の外国人の方に話し掛けるみかんの姿とか観てるとそれはもう強く、そう感じずにはいられないといいますか...
ああ、もう幾ら言葉を並べたところで表現し切れないこのもどかしさ。いや、もう身も蓋もないこと言うようですが、とにかく本当にまなびは最高なんですよ。そういった友情も、愛も、青春も、全て丸め込んでそれが織り成すその未来<さき>で再度感じられる“私たちはここにいる”感。それがもう堪らなく最高すぎる!

そしてそれは「誰も一人では生きてない」という結論に結び付き、またそれこそが“It's my life”なのだと訴えるこのOPに回帰する構成はもうさすがとしか良いようがないですね。初志貫徹。最初から最後まで一つの意志を貫き通す彼女達と、その作品としての在り方には、もはや愛情を捧げずにはいられません。しかもその一貫性をここまで劇的に、ドラマチックに描き出して魅せるのだから凄いですよね。
・ Do you enjoy your happy life?

というわけで、いい加減長くなってきたのでこれで最後になりますが、この作品のもう一つの魅力について少しだけ。それは何を隠そう園長先生の存在であって、彼女がいたからこそこの作品はまた一つ上のレベルへと進化できたのではないかなと思っていたりします。
それは他ならぬ彼女が「懸命に“今を生きた”結果、何かを変えられなかった存在」だから。学校の横暴を許すなと戦い抜いたその先で、そこに残ったのは余りにも悲しい「無」。廃墟と化した学生寮がその凄惨たる事実を鮮明に描き出す辺りは非常に寂しく、悲しく映るのではないかと思います。


けれどそれってつまりは、まなび達が歩んだ道のアナザーストーリー的な側面も持ち合わせていて、彼女達にだって“こうなる未来”は少なからず待ち受けていたはずなんです。自分達の力じゃ決してどうにだって出来やしない理不尽との対峙と、それに磨り潰されていく想いの儚さ。
故に園長先生を主役においたこのサイドストーリーは深刻な面持ちで語りかけてくる。
たとえこういう末路を辿ったとしても、あなたは今を生きたことを決して後悔しませんか?と。
それはまさに、この作品の本編を表向きの輝きとするならば、そんな輝きと表裏一体を成す“敗戦”とも言えるのかも知れない。一生懸命生きたって、そこには必ずしも見返りがあるわけじゃないんだという大人だからこそ伝えることが出来る痛烈なアドバイス。

けれど、まなび達はそんな理不尽に押し潰されそうになっても遂には諦めることに終止符を打ったわけで、そんな彼女達の姿勢、意志の強さが園長先生を再度、“今を生きた”あの日の想いに引きずり込む。
「何も変わらなかった。だけど、その全てが無駄だったなんて決して思わない。あの頃の仲間の顔と名前、その全てを覚えているから」。それはまさしく、懸命に生きて、懸命に楽しんだ事実はその結果云々で消え去るものではないんだという証明としてこの作品の底を力強く押し上げてくれる。何があったって“今を生きる”ことに全力を捧げるということは素敵なことなんだと、懸命に訴え掛けてくれる。
そしてそれは、まさしく最終回Cパートにおいて黒板に書かれていた「Do you enjoy your happy life?」の言葉そのものが意味することでもあるはずで、やはりこの作品は最後のその瞬間まで「自分らしく生きること」を全力で肯定してくれていたんじゃないかな、なんて思うと、その先の失敗とか成功とかは関係なくとにかく今を頑張って生きてみようと自分自身が思えてくると言いますか、そういったまさに「まなびストレート!」らしい力強さにはただただ感嘆するばかりです。

また、だからこそこの作品はそんな彼女達を見て「何を想い、何を起こすか」を必然と考えさせられる、ある意味で“継承”の物語でもあったのでは... なんて風に考えると結構しっくりとくるかも知れませんね。園長先生、第82期生徒会、そして次世代へ。そうして語り継がれた物語を視聴し、大きな感動を彼女達から受け取ったからこそ、「まなびストレート!」の一ファンとしてこれからもこの作品の素晴らしさを多くの人に伝えていければなと思います。
というわけで、本当に素晴らしく最高で堪らない「まなびストレート!」はBDBOXが近々発売となりますので、興味がある方、または既に視聴したことがある方も是非、購入の方を検討してみてはいかがでしょうか。お金がない方は、またまたレンタルショップへまっすぐ、GO!!!
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