たまゆら~hitotose~
たまゆら~hitotose~ #06 『それはいつかの日のこと、なので/そしてある日のこと、なので』 感想

誰かの想いが誰かの想いに変わりゆく瞬間。
音は響き、そして伝わる。想いは届き、そして繋がる...
人に想いを伝えることの難しさとその素敵・・・。
確かに自分の言いたいことを相手にきちんと伝えて、理解してもらうことって本当に難しいし、
そんな簡単なことじゃ決してない。それは上手く自分の口じゃ説明できないことだったり、
恥ずかしくてなかなか言い出せないことだったり、明確には言語化できない凄く曖昧な想い、
そしてそれも時には凄く感情的な想いでもあったり...
そういった人と人っていう関係性がそこにあるからこそ、難しくなっちゃうことってたくさんある。
それに誰もが自分の意志をしっかりと表に出せるわけではないし、それこそ麻音や楓みたいに
内気になってしまう子もいれば、かおるやのりえみたいな活発な子だっているわけで、
自分と全く同じ人なんて何処を探したっているはずがないんですよね。色とりどりの違いがある。

だからようは、人ってそれだけ一人一人で違う側面を持っているし、違う考えを持っているわけで、言ってしまえば二人の人が完全に分かり合えることってそれだけで奇跡的なことでもある
と思うんです。それこそたくさんの出会いがある中で限りある人とだけ繋がれる素敵...みたいな。
でもじゃあその奇跡は待っているだけで訪れるものなの?と聞かれれば、その答えって当然 “No” で、やっぱり自分の想いを相手に届けたいと願うのならばそこには精一杯の誠意が必要なんじゃないかなとも思えるんですよね。
もちろん、それは “形” とかそういったものではなくて、やぱり行き着くところってその “想い” で。
届けたい気持ち、純粋な想い、決死の願い。それは何だっていいんですけど、その心にその人の
想いがどれだけ汲み込まれているかどうかってこと。
そして、もしそういった想いを何かに込めたのだとしたら、後はもうその何かを相手に渡すための
あと一歩の勇気だけが必要なものでもあって、つまりはそういった “伝えたい” とか “届けたい”
っていう想いこそが全ての切欠にもなりえるし、むしろそれがなければ何も始まらないんじゃないかって。そう思えるんですよね。

もちろん、そんな想いを一生懸命に込めたからといって全ての想いが相手に伝わるわけではないし、
それも言ってしまえば夢物語であるのかも知れません。
けれど、少なくともあのいつの日かに麻音が聞いたあの口笛の音と、その想いを次いで彼女が吹き鳴らしたあの素敵な口笛にはたくさんの想いと願いが乗っていたはずだと思うんです。
目の前で涙を流す二人の少女と、横で涙ぐむ一人の少女。そんな悲しさを失くしてあげたい。
そして、笑い合いたい。私が聞いたあの素敵な音色を聞いて笑顔になって欲しい。
そんな麻音の純粋無垢な優しさが込められたあのメロディ。きっと楓たちが笑顔になれた理由って
そこにこそあるはずですよね。
一つの想いがみんなの元に届いた瞬間。そして、みんなの想いが初めて一つに繋がった瞬間。

また、それはある日の出会いにも繋がっていたりして、ようはそうやって積み重なっていった想いが
やがてはとても煌びやかで美しいものに変化していくのだとも思えますよね。
いや、“思う” と言うよりは 『そう、信じたい』 だけなのかも知れないし、それもきっと希望的観測。
こうだなんて言い切ることはきっといつまで経っても出来ることはないのでしょう。
でも、麻音やのりえがそう願ったように、“そうでありたい” と願う気持ちこそが全てに繋がるし、一つ一つの想いをまずは信じることから始めなくちゃどうにも転べはしないはず。
気持ちが伝わらない。伝わるわけがないと思ってそこで立ち止まっていては前には決して進めない。
むしろ麻音はあの瞬間でそう “信じられたからこそ” 想いを込め、口笛を吹き、
私と友達になって下さい、と僅かな希望を乗せてのりえに語りかけてみたのだと思います。

そしてその結果、のりえがああやって手を差し伸べてくれたというこの最高のハッピーエンドは、希望も夢も、抱き信じることで初めてその意味を成すんだよということを鮮明に描いていたりもして、あのラストシーンにはただの希望的観測とは言わせない何かがしっかりと存在していたのではと思えました。
また、のりえがあの口笛の音を心の片隅に留めていたという事実もそれこそ積み重ねの重要性を
しっかりと描き出していて、そういう一つ一つの表情の魅せ方が本当に巧い作品だなぁと
改めて思うことができた話でもありましたね。というか、それもこの作品に対しては何を今更といった
感じではあるのですけど、まぁ本当に素敵な作品ですよね。もはや私にとっての幸せそのものです。
と、上手く纏まったところで最後にもう一つ。
最初にも述べたように、誰かに何かを伝えるというのは簡単なようでとても難しいことです。
それはこうして感想を書いている私自身も度々感じていることであって、
その一文一文で自分の本心が伝わっているのかなんてことは全く分からないし、自信もありません。
でも、そうであったとしても “伝えたいから” 書くというその気持ちだけは信じていられるし、
そうして込めた想いがきっと何処かで繋がっているはずという願いは常に抱いていたりして...
故に、こんな稚拙な文章を書き続けるブログに対してでも、多くの方が反応を下さったり、
私自身凄く幸せな気持ちになれることを言って頂けたりした際は本当に嬉しくて嬉しくて、
もうそれこそ感謝の気持ちで一杯なんですよね。
まぁだからと言うわけではないのですけど、でも少なからずそういう経験をしてこれたからこそ、
麻音の気持ちも分かる気がするし、伝えたいと想うことの大切さも身に沁みているつもりです。
だからようは何が言いたいのかというと、今回の話を観てまだまだこのブログも続けていきたいなぁと思えたというか、とにもかくにもこれからも宜しくお願い致しますと...。それこそ、この作品の感想を書いていられるという幸せを噛み締めながらこれからも邁進して行きます故、まぁ彼女たちのようにとは行かないまでも、温かく見守っていって下さればと思います。
次回 「竹灯りの約束、なので」
確かに自分の言いたいことを相手にきちんと伝えて、理解してもらうことって本当に難しいし、
そんな簡単なことじゃ決してない。それは上手く自分の口じゃ説明できないことだったり、
恥ずかしくてなかなか言い出せないことだったり、明確には言語化できない凄く曖昧な想い、
そしてそれも時には凄く感情的な想いでもあったり...
そういった人と人っていう関係性がそこにあるからこそ、難しくなっちゃうことってたくさんある。
それに誰もが自分の意志をしっかりと表に出せるわけではないし、それこそ麻音や楓みたいに
内気になってしまう子もいれば、かおるやのりえみたいな活発な子だっているわけで、
自分と全く同じ人なんて何処を探したっているはずがないんですよね。色とりどりの違いがある。

だからようは、人ってそれだけ一人一人で違う側面を持っているし、違う考えを持っているわけで、言ってしまえば二人の人が完全に分かり合えることってそれだけで奇跡的なことでもある
と思うんです。それこそたくさんの出会いがある中で限りある人とだけ繋がれる素敵...みたいな。
でもじゃあその奇跡は待っているだけで訪れるものなの?と聞かれれば、その答えって当然 “No” で、やっぱり自分の想いを相手に届けたいと願うのならばそこには精一杯の誠意が必要なんじゃないかなとも思えるんですよね。
もちろん、それは “形” とかそういったものではなくて、やぱり行き着くところってその “想い” で。
届けたい気持ち、純粋な想い、決死の願い。それは何だっていいんですけど、その心にその人の
想いがどれだけ汲み込まれているかどうかってこと。
そして、もしそういった想いを何かに込めたのだとしたら、後はもうその何かを相手に渡すための
あと一歩の勇気だけが必要なものでもあって、つまりはそういった “伝えたい” とか “届けたい”
っていう想いこそが全ての切欠にもなりえるし、むしろそれがなければ何も始まらないんじゃないかって。そう思えるんですよね。

もちろん、そんな想いを一生懸命に込めたからといって全ての想いが相手に伝わるわけではないし、
それも言ってしまえば夢物語であるのかも知れません。
けれど、少なくともあのいつの日かに麻音が聞いたあの口笛の音と、その想いを次いで彼女が吹き鳴らしたあの素敵な口笛にはたくさんの想いと願いが乗っていたはずだと思うんです。
目の前で涙を流す二人の少女と、横で涙ぐむ一人の少女。そんな悲しさを失くしてあげたい。
そして、笑い合いたい。私が聞いたあの素敵な音色を聞いて笑顔になって欲しい。
そんな麻音の純粋無垢な優しさが込められたあのメロディ。きっと楓たちが笑顔になれた理由って
そこにこそあるはずですよね。
一つの想いがみんなの元に届いた瞬間。そして、みんなの想いが初めて一つに繋がった瞬間。

また、それはある日の出会いにも繋がっていたりして、ようはそうやって積み重なっていった想いが
やがてはとても煌びやかで美しいものに変化していくのだとも思えますよね。
いや、“思う” と言うよりは 『そう、信じたい』 だけなのかも知れないし、それもきっと希望的観測。
こうだなんて言い切ることはきっといつまで経っても出来ることはないのでしょう。
でも、麻音やのりえがそう願ったように、“そうでありたい” と願う気持ちこそが全てに繋がるし、一つ一つの想いをまずは信じることから始めなくちゃどうにも転べはしないはず。
気持ちが伝わらない。伝わるわけがないと思ってそこで立ち止まっていては前には決して進めない。
むしろ麻音はあの瞬間でそう “信じられたからこそ” 想いを込め、口笛を吹き、
私と友達になって下さい、と僅かな希望を乗せてのりえに語りかけてみたのだと思います。

そしてその結果、のりえがああやって手を差し伸べてくれたというこの最高のハッピーエンドは、希望も夢も、抱き信じることで初めてその意味を成すんだよということを鮮明に描いていたりもして、あのラストシーンにはただの希望的観測とは言わせない何かがしっかりと存在していたのではと思えました。
また、のりえがあの口笛の音を心の片隅に留めていたという事実もそれこそ積み重ねの重要性を
しっかりと描き出していて、そういう一つ一つの表情の魅せ方が本当に巧い作品だなぁと
改めて思うことができた話でもありましたね。というか、それもこの作品に対しては何を今更といった
感じではあるのですけど、まぁ本当に素敵な作品ですよね。もはや私にとっての幸せそのものです。
と、上手く纏まったところで最後にもう一つ。
最初にも述べたように、誰かに何かを伝えるというのは簡単なようでとても難しいことです。
それはこうして感想を書いている私自身も度々感じていることであって、
その一文一文で自分の本心が伝わっているのかなんてことは全く分からないし、自信もありません。
でも、そうであったとしても “伝えたいから” 書くというその気持ちだけは信じていられるし、
そうして込めた想いがきっと何処かで繋がっているはずという願いは常に抱いていたりして...
故に、こんな稚拙な文章を書き続けるブログに対してでも、多くの方が反応を下さったり、
私自身凄く幸せな気持ちになれることを言って頂けたりした際は本当に嬉しくて嬉しくて、
もうそれこそ感謝の気持ちで一杯なんですよね。
まぁだからと言うわけではないのですけど、でも少なからずそういう経験をしてこれたからこそ、
麻音の気持ちも分かる気がするし、伝えたいと想うことの大切さも身に沁みているつもりです。
だからようは何が言いたいのかというと、今回の話を観てまだまだこのブログも続けていきたいなぁと思えたというか、とにもかくにもこれからも宜しくお願い致しますと...。それこそ、この作品の感想を書いていられるという幸せを噛み締めながらこれからも邁進して行きます故、まぁ彼女たちのようにとは行かないまでも、温かく見守っていって下さればと思います。
次回 「竹灯りの約束、なので」
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たまゆら~hitotose~ 第6話「それはいつかの日のこと、なので」「そしてある日のこと、なので」感想!
たまゆら~hitotose~ 第6話「それはいつかの日のこと、なので」「そしてある日のこと、なので」
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とくに後半むっちゃ感動した!!
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